こんにちは。
junonoです。

今回は「コート・ド・ブルターニュ」と呼ばれるスピネルと、そのゆかりの街ナントを紹介します。

パリのルーブル美術館で一番豪華なアポロンの間。

そこにはフランス王家が所有した数々の財宝が展示してあります。

威厳を放つ王冠や、豪華な王妃のネックレスなどの煌びやかな宝石。

キラキラした宝石に囲まれながら、ドラゴンの形をしたローズ色のフランス王家最古の宝石が静かに佇んでいます。

このスピネル「コート・ド・ブルターニュ」は、もともとは今はなきブルターニュ公国で受け継がれていたもの。

国、王朝、世代、そして多くのお城を巡って、盗まれながらもまた戻ってきて歴史を見届け続けている宝石です。

そのルーツは、ブルターニュ公国の旧都ナント。

その女君主であり、フランスで唯一2度王妃になったアンヌ・ド・ブルターニュが、薄幸の中にありながらも民のより良い生活のために生涯をかけて心血を注いだ国の都でした。

その思いが届いているかのように、ナントは現在「住みたい街」「住みやすい街」「世界の街の生活の質」ランキングなどで上位に入る街となっています。

それでは、まず「コート・ド・ブルターニュ」についてお話しますね。

スピネル◆コート・ド・ブルターニュ




「コート・ド・ブルターニュ」は、ローズ色をしたスピネルで、フランス王家最古の宝石です。

直訳すると「ブルターニュの海岸」。

採石地や命名由来などは不明ですが、もともとの持ち主にちなんで名付けたのではないかと考えられているようです。

このスピネルは、フランス北西部に10〜16世紀までかつてあった、ブルターニュ公国のマルグリット公妃が15世紀に所有していたことがわかっています。

初めて歴史に登場した所有者です。

後に娘である公族最後の女公で、強制的に2人のフランス国王の妃とされたアンヌ・ド・ブルターニュに受け継がれます。

そして、その娘の王女クロードへ。

後にはクロードの夫として王になったフランソワ一世の宝物目録に登録されて、歴代王妃などに愛用されます。




メアリー・スチュワートがフランス王妃だった16世紀末頃には、それまで使っていたデザインが流行遅れとなったようで、このイラストのような装飾に作り直したらしいです。

歴史学者で宝石学者のGermain Bapstの著書によると、このイラストは当時の文献の文章通りに描いたものだとのこと。

歴代の王妃が使用して、ヴァロア王家が途絶えた後は、ブルボン王家に引き継がれます。

18世紀には、ルイ15世がコート・ド・ブルターニュをドラゴンの形に加工して、金羊毛騎士団の勲章に組み込みました。




こちらは、フランス自然史博物館にあるそのレプリカ。

この宝飾デザインは傑作だと言われている上、世界最大のブルーダイヤモンドも使われていていたので、また改めて紹介したいと思います。

スピネルはもともと246カラット。

ルーブル美術館にある現在のものは107.88カラット。

かなり削ったようで、少しもったいないような気がします。

その後、1792年のフランス革命時に盗まれましたが、無事回収。

現在はドラゴンのまま、ルーブル美術館に佇んでいます。

ひとつの石が、長い間さまざまな人々に身につけられ、受け継がれて、大切にされているのはとても感慨深いです。

ナントの街

ナントはフランス北西部にある街。

紀元前2世紀から人が定住していて、紀元前1世紀のガロ・ローマ時代に街となったとのこと。

ブルターニュ公国があった時代には、その首都でした。

ロワール川沿いで大西洋にも近いので、貿易や造船業などで発展し続けたようです。

現在は人口がフランス第6の都市。

経済予測をするオックスフォード・エコノミクス社による2024年「世界の街 生活の質」ランキングでは、10位に入っています。



街は古い建物が残る旧市街から、時とともに徐々に広がっていったかのように見えます。




旧市街の中心にある大聖堂の正面は、炎のように躍動的な石のレリーフが刻まれています。

15世紀頃からみられたゴシック建築の最終段階を飾る、フランボワイヤン様式。




中ではブルターニュ最後の男系君主フランソワ2世と、コート・ド・ブルターニュの最初の持ち主の公妃マルグリットが眠っています。

大理石の墓碑は、娘のアンヌ・ド・ブルターニュの命により制作されたルネサンス様式のもの。

天使たちに囲まれた二人の像は、安らかな表情でした。




ブルターニュ大公城、エントランス。

城壁とお城が一体化している独特の構造で、城壁の上をぐるっと一周散歩できます。

土台はローマ時代の要塞を利用したらしく、長い歴史の重みを感じます。





いくつもの建物があって、こちらがメインのお城でした。

中は資料が中心の歴史博物館。



フランボワイヤン様式の石のレリーフが、まるでレース編みのようでとても美しい。

雨どいのガーゴイルもいますね。

ナバラ女王の孫だった公妃マルグリットは、1471年に嫁いできてからアンヌとイザボーの姉妹をもうけて、15年の間このお城で過ごしています。

このお城でマルグリットはコート・ド・ブルターニュを身に着けて、宮廷の華やかさを演出していたのかもしれません。




入口正面にあるのは、お城を見上げるアンヌ・ド・ブルターニュ像。

ブルターニュの歴史と彼女の人生を象徴しているかのようです。

アンヌは、わずか11歳でブルターニュ公国を継承。

幼くして両親と妹を失い、重責を担うことになった彼女の運命は、決して平坦ではなかったようです。

フランスに敗戦して、シャルル8世、ルイ12世と2代のフランス国王の王妃となり、ブルターニュ公国は事実上フランスに併合。

子宝は継承権がある男子に恵まれず、王女が2人のみ。

幸薄でありながらも、聡明で決断力のあるアンヌは、鋭い政治感覚を持ち、ブルターニュの自治を守り、民のより良い生活のために献身的だったらしいです。

芸術の庇護者で、有能な女公で王妃であったことでも知られています。

現在でも、ナントやその近郊では、アンヌの名前を冠した図書館、学校、通りなどが多く見られ、その人気と影響力が時を超えて続いていることが伺えます。

実は、アンヌが母から譲り受けた宝石は、コート・ド・ブルターニュ以外にもあったそうです。

フランスとの戦争でお金がかかったらしいのですが、受け継いだ宝石は売らなかったようです。

宝石はアンヌとともに、ロワール川を上ってフランスの宮廷があったアンボワーズ城やブロワ城へ移って、後に次世代に託されます。

しかし、ブルボン朝初代国王のアンリ4世がそれらの宝石を財政改善のために売却。

ただし、コート・ド・ブルターニュだけは残されて、唯一生き残った宝石と言われています。

ちなみにブルターニュ大公城は、このアンリ4世が1598年にナントの勅令を発令して宗教戦争を終わらせた場所でもあります。

お城の前は古い石畳になっていました。

ここを歩いて街中へ進みます。

中世・近世から近代、そして現代へ。

ナントは、歴史を順番通りに体感しながら、歩ける街のように感じます。




やがて通りは新しい石畳へと変わっていきます。
建物が段階的に新しくなってきているような感じです。

19世紀のベルエポック時代のアーケードがありました。




アール・ヌーヴォーのデザイン。
淡い太陽の光に照らされた装飾が美しいです。




ロワール川を渡って中州へ行くと、そこには現代的な建物や、機械仕掛けの空想世界を具現化したアート・アミューズメントパーク「マシン・ド・リル」がありました。

ジュール・ヴェルヌの空想世界やレオナルド・ダ・ヴィンチの発明に触発された、ナント拠点の世界的アートパフォーマンス集団「ラ・マシン」が手がけています。

横浜にも2009年に、巨大クモが招待されていますね。

この歩く機械象は見た目はメカですが、動きは割とリアルでした。


中州からロワール川を更に向こうへ渡ると、そこには漁師の村トラントゥムーがあります。

どこを歩いてもカラフルなお家がいっぱい!

鮮やかに彩られた細い路地がたくさんあって、迷いながら夢のようなひと時を過ごしました。

コート・ド・ブルターニュの持ち主だったブルターニュ公国君主や民が願った独立や自治は、歴史の中に消えてしまいました。

しかし、かつての首都ナントは時とともに広がり、各時代の人々が残した美しい空間があって、世界的にも住みやすい街へと変貌を遂げているようです。

君主が心を砕いた民たちの子孫は、ある程度幸せに暮らしているのではないでしょうか。

ルーブルに佇むスピネルのドラゴンも、満足しているかもしれません。

以上、フランス王家最古の宝石、コート・ド・ブルターニュとそのゆかりの街ナントを紹介しました。

それでは、また次回に!