フランス版人間国宝「メートル・ダール」の宝石彫刻家、エルヴェ・オブリジさん。

その匠の技で刻む宝石万年筆は単なる筆記具にとどまらず、世界でも類を見ないエモーショナルな芸術品。

収納ケースや、飾るためのオブジェにまで世界観が広がっています。

最終回のPART3では、日本でも愛好家が増えているその高級万年筆に焦点を当てます。

オブリジさん自身のインスピレーションから生まれる、一点物の「創作万年筆」。

依頼主の想いやこだわりを形にする、その人のための世界でたった一本の「オーダーメイド万年筆」。

その2つのアプローチから、オブリジさんの万年筆の奥深い魅力と、一本一本に込められた物語を綴ります。

【エルヴェ・オブリジ特集|現地独占取材】

◆PART 1|美学・哲学編
フランス版人間国宝「メートル・ダール」宝石彫刻家のアトリエへ


◆PART 2|サヴォアフェール編
カルティエ、ピアジェなどとの協働と宝石象嵌細工


◆PART 3|宝石万年筆編
一点物とオーダーメイド高級万年筆が綴る物語 (閲覧中)

\この記事の要約|エルヴェ・オブリジの宝石万年筆とは? 一点物とオーダーメイドの高級万年筆が綴る物語/

  • 【世界に一本だけの宝石万年筆】
    フランス版人間国宝「メートル・ダール」の宝石彫刻家エルヴェ・オブリジさんが制作する、筆記具の枠を超えた芸術作品として高く評価される、一点物の高級万年筆を紹介。
  • 【創作アートとオーダーメイド】
    オブリジさん自身のインスピレーションから生まれる唯一無二の創作万年筆。
    そして、依頼主の想いや人生、こだわりを形にするオーダーメイド万年筆。
    この二つの異なるアプローチから生まれる作品の魅力を明らかに。
  • 【万年筆が綴る物語】
    天然石が持つ個性や色彩、想いが織り込まれた高級万年筆には、それぞれの物語が存在。
    収納ケースや、飾るためのオブジェにまで世界観が広がる。
    作品に込められたストーリーや創作の背景を通して、心を揺さぶる宝石万年筆の世界を綴る。

1 エルヴェ・オブリジの宝石万年筆の機能美と世界観

1992年、友人から「ペンを作ってほしい」と頼まれたのがきっかけで、オブリジさんは初めて筆記具を作りました。

それから2本、3本と、雪だるま式にたくさん作るようになります。

「私が楽しいと感じるのは、『書く』という制約のあるものづくり。

バランス、美しさ、機能性の組み合わせ。

万年筆は、人の手に寄り添う、親密な道具なのです」 

オブリジさんの作品は、万年筆そのものだけにとどまりません。

それを収めるケースや、飾るためのオブジェにまで世界観が広がり、それらが一体となって一つのストーリーを紡いでいます。 

2 天然石から始まる一点物の高級万年筆──創作の構想と制作工程

「すべては素材と対話をすることから始まります。

『素材』が形を成す『作品』へと向かっていくのであり、その逆ではありません」

オブリジさんの万年筆の創作はまず、天然石を手にとり、その表情や質感と向き合いながら構想を練ります。

また、作品を作るたびにたまる、さまざまな種類の石の削り片をみながら、色やテクスチャを確認して、組み合わせも考えます。 

そうして試作と研究を重ねて、ようやく一つの作品が生まれるのです。

シリーズや限定数量のものはありますが、その多くが一点物。

使い手と時を重ね、人生をともに歩む万年筆を生み出すためには、長い思考の時間が欠かせないと明かしてくれました。

万年筆の制作工程も、決して簡単なものではないといいます。

オブリジさんのアトリエのテーブルには、加工前後の石材が並び、創作の試行錯誤の跡がうかがえました。

「制作の工程では、一瞬たりとも気を抜くことができません。

石を扱うときには常に完全に集中することが必要で、それでも割れてしまうことがあるのです。

万年筆本体やキャップを機械で削り出す際には、摩擦によって石の温度が上がり、ヒビが入ってしまうこともあります。

さらに、素材の内部に隠れていた気泡や晶洞といった予期せぬものが、加工中に現れることも珍しくありません」

オブリジさんはそう説明してくれました。

キャップ一つを仕上げるだけでも約3日。

一本の万年筆を完成させるために、1.5〜2kgもの原石が必要。

さらに、ネジやリングの取り付け、内外の研磨など、すべての工程を終える最後の瞬間まで綺麗な仕上がりは保証されないそうです。

途中で石に問題が見つかれば、新たな原石を使って一から作り直します。

「『石は生きているもの』としてみなして扱います」

その言葉からは、素材への深い敬意と真摯な姿勢が伝わってきました。

3 オブリジワールド──一本一本の宝石万年筆が綴る物語

新作が完成すると、まずは発表を心待ちにしているコレクターたちへお披露目。

そして、展示会やInstagramなどを通して世に送り出され、それぞれの作品が新たな持ち主のもとへと旅立っていきます。

個人のオーダーメイド作品も手がけていますが、まずはオブリジさん自身のインスピレーションから生まれた創作万年筆を取り上げます。

3-1「Le Medici(メディチ家)」──ルネサンスの煌びやかな栄華

この万年筆、「Le Medici(メディチ家)」は新作でしたので、実物をみせていただきました。

メディチ家の庇護のもとで開花した、フィレンツェのルネサンス時代の優雅さと豪華さを表現した作品です。 

「洗練さを表現するために、当時を象徴する二つの素材、クリスタルと金箔を組み合わせました。

クリスタルの澄んだ透明感は、人文主義者たちが追い求めた『知』や『光』を思わせます。

そして金箔は最高級の素材で、装飾写本に施された金の輝きや、フィレンツェの宮殿の豪華さを彷彿させます」

オブリジさんはクリスタルの中でも、金色に輝く針が華やかなルチルクォーツを選びました。

さらに、この万年筆はトスカーナ産の希少な石灰岩パエジナストーンのプレート台付き。

パエジナストーンは、風景画や建築のように見える自然の模様があるので、ルネサンス期に高く賞賛されていた石です。

これほど煌びやかなルチルクォーツの個性を最大限に引き出している作品を、見たことがありません。

作品とマッチしたゴールドのペン先は、H.Obligiの刻印入り。

3-2「La Cité du Fada(風変わり者の都市住宅)」──建築へのオマージュ

1952年に建設された Cité Radieuse de Marseille マルセイユのシテ・ラディユーズ(輝く都市住宅)。

地元の人々からは、「LA CITÉ DU FADA 風変わり者の都市住宅」、日本ではユニテダビタシオンという名称でおなじみです。

建築の巨匠ル・コルビュジエが設計した建築作品群の一つとして世界遺産に登録されています。

建物の中に住宅だけでなく、商店街、ホテル、保育園、屋上プール、体育館までを詰め込み、その建物だけで一つの「都市」として機能するよう設計された傑作。

現在も高い人気を誇る集合住宅です。

この万年筆は、その建物のオマージュとして生まれました。

このインスタグラム動画では、入れ物からペン先まで、この万年筆の全てがわかります。 

デザインには、ル・コルビュジエが打ち放しコンクリートに躍動感を表現するために用いた、ファサードの鮮やかな色彩が忠実に再現されています。

レッドジャスパー、ラピスラズリ、シエナイエロー(金色の大理石)、オパール、火打石の繊細なピエトレドゥーレが見事です。

そして万年筆を収めるケースには、ル・コルビュジエの代名詞ともいえる素材、コンクリートを使用して、さらにメタルのボックス入り。

建物のトータルなストーリーが伺えます。

3-3「Jupiter(木星)」──宇宙の旅への誘い

アルメニア産オブシディアンを使った万年筆、「Jupiter(木星)」。

デスクにコロンと置いておくだけでも、宇宙を旅をしているような気分にさせてくれる万年筆。

宇宙や空の現象をシリーズにした、万年筆8種類のうちの一本です。

「ちょうどいい素材が全部揃っていました。

曖昧で雲のような模様を持つ素材から、物語や感情へと導かれました」
とオブリジさんは語っていました。

このシリーズは他に、雲や土星衛星のタイタンなどがあって、とても人気があったのだそうです。

3-4「C’est le printemps!(春です!)」──春の息吹を感じて

「C’est le printemps!(春です!)」という季節を表現した作品。

クリソプレーズ、コーラル、花はロッククリスタル、パールを使用。 

一点物ですが、これを買い損ねたコレクターの方から「どうしても欲しい」という要望を受けて、オブリジさんは似たような万年筆を一本作りました。

その一本を見せてもらったのですが、コーラルをそのまま活かした枝と、繊細な花の彫刻が印象的。

春の息吹を感じさせる、上品な作品でした。

3-5「L’Abeille(蜂)」──蜂蜜色に宿る生命の輝き

「L’Abeille(蜂)」をモチーフにした万年筆。

バサナイト、タイガーアイ、金、コーラルを使用。

形や色、縞模様など蜂の姿を忠実に表現するだけでなく、体内に蓄えた蜂蜜の琥珀色の輝きや豊かなテクスチャまでも万年筆のボディに映し出しています。

蜜を集め、蓄え、命を育むという蜂の営みそのものも、デザインに取り入れているのです。

単なる姿の再現にとどまらない、その奥深さに思わず引き込まれました。  

続いて、ここからは、オブリジさんの遊び心が光る作品に焦点をあてます。

3-6「TPC」──工事現場用保護チューブから生まれたアート 

街中の歩道でよく見かける、改装工事現場の足場を保護し、注意を促す赤い保護チューブ。

フランスではTPC(Tube de Protection de Chantierなど)と呼ばれています。

多くの人は大して気にも留めず、そのまま通り過ぎてしまうのでしょう。

私もオブリジさんにこれをモチーフにした作品を見せてもらうまでは、そうでした。

ところが、オブリジさんのアトリエを出て街を歩くと、不思議なことに赤いチューブばかりが目に入ります。

ある歩道では、シルバーの金属製の天井の足場や柱が赤いチューブに溶け込み、少し前に降り出した雨に濡れた路面に、その姿が映っていました。

まるで空間そのものが現代アート作品になったかのようでした。

その工事現場の赤いチューブ、TPCをモチーフにした万年筆。

あらゆるものを観察し、その趣を見いだすオブリジさんは、何気ない工事現場の風景を宝石万年筆にしています。

「柱に取り付けるためにスポッとかぶせる、TPCの切れ目まで表現しました」
と細部にまで及ぶこだわりについて説明してくれました。

素材にはレッドジャスパー、漆、オニキスを使用。

ボックスもコンクリートの質感を再現し、赤い斜めのラインが工事現場の雰囲気を巧みに表現しています。

見慣れた工事現場も、視点を変えればコンテンポラリーなストリートアートのように見えてきます。

オブリジさんの作品を通して、身の回りにある何気ないものにも美を見いだす視点に気づかされました。

3-7「Venezia Forever(ベネツィアよ、永遠に)」──童心へ誘う滑るゴンドラ

ベネツィアのゴンドラをモチーフにした一本。

子どもの頃に夢中になったフロートペンを、高級万年筆へと昇華した作品です。

ロッククリスタル、ラピスラズリ、コーラル、オニキス、金、オパール、カーネリアン、パイライトを使用。

ペンを傾けると、ゴンドラがスッと水面を滑るように動きます。

遊び心にあふれた仕掛けです。

「どのオイルを入れるかの研究だけで6カ月かかりました。

結局は空洞のまま、ゴンドラをクリスタルの板で挟んで動かすようにしています」

オブリジさんは、この万年筆をとても楽しんでつくったとのこと。

それに、童心に返るひとときを求める大人は、意外にも少なくないそうです。

子どもの頃に憧れたフロートペンを持つのは少し照れくさい。

でも、高級万年筆というかたちなら、「大人の遊び心」として自然に手に取ることができる。

実は、この発想は高級時計の世界でも同様で、ある老舗時計メーカーの幹部によれば、文字盤にクロノグラフやギミックのある人気モデルも、原点は子ども時代へのオマージュだとのことです。

3-8「Kiss Me」──キスを待つ、カエルの王子様

Kiss Me キス・ミー。

カエルにされた王子様がキスを待っています。

「シトリンと童話にインスパイアされて出来上がった作品です」とオブリジさん。

水をアメジスト、ルビー原石、サファイア、シトリン、ルチルクォーツ、オパールで表現。

宝石の色に合うように、ホワイトゴールドかイエローゴールドのカエルが乗っています。

万年筆のボディはジェット。

蓮の葉をイメージした、漆のケース入り。

ケースのふたを取れば、カエルが蓮の上に乗っているように見えるデザインです。

オパールの水辺の幻想的な輝きが、作品世界をより引き立てています。 

4 石に込められた想い──対話から生まれるオーダーメイド万年筆

「Colors」という宝石万年筆シリーズ。

シンプルなデザインをベースに、注文者が好みの色や素材を選び、自分だけの一本を仕立てられることをコンセプトにした宝石万年筆シリーズです。

画像のモデルは、木に漆を施したボディと天然石のキャップを組み合わせたもので、ピーターサイト、ライオライト、ラピスラズリが使われています。

「石と漆は意外と相性がいい組み合わせなのです」

オブリジさんはそう教えてくれました。

アトリエのデスクには、「Colors」のモデルをはじめ、金箔を施したモデルやエイ革を使用したモデル、ロッククリスタルのキャップなどが並んでいました。

こうしたシリーズ作品に加え、オブリジさんは依頼者一人ひとりの想いや物語を形にする、オーダーメイド作品も数多く手がけています。

オブリジさんのもとには、さまざまな思いを抱えた依頼者が訪れます。

ある女性は、亡くなる直前の兄から託された、ヒマラヤから持ち帰った黒い石を携えて工房を訪ねてきました。

初めは「この石を使って、何かオブジェを作ってほしい」という依頼でした。

対話を重ねるうちに、その女性に「いつも石を手の中に感じられる、書くためのものがいい」という想いが浮かび上がります。

オブリジさんはかなり悩んで試行錯誤の末、その黒い石で陰陽を表す2つの円錐を作り、中央に金のリングを配した万年筆を創作。

さらに、ロッククリスタルでヒマラヤの雪山を表現した台座に据え、一つのオブジェとして完成させました。

亡き兄への想いが静かに込められた、世界に一つだけの作品です。

また、万年筆ではなくボールペンにこだわるアラブの顧客からは、毎年3本の制作を依頼されているそうです。

こうした一人ひとりの個性や想いに寄り添う依頼を、オブリジさんは歓迎しています。

「特別なこだわりを持つ人々と、創造的な対話を交わすこと自体が楽しみなのです」

注文は一本から受け付けていて、素材や形はもちろん、そこに込めたい想いからでも対話は始まります。

対話を通して、その人だけの一本を創り上げていく。

作品には、卓越した技術だけでなく、石と向き合う姿勢、依頼者との対話、そしてそれぞれの想いを形にしようとする巨匠の哲学が息づいています。

そんな背景があるからこそ、オブリジさんの万年筆は単なる筆記具ではなく、物語を宿し、心を通わす大切な宝物として、魅力を感じさせてくれるのではないでしょうか。 

5 石を愛し、美を極め、技で刻み、物語を紡ぐ──そして感情があふれ出す 

以上、3パートにわたってお届けしたエルヴェ・オブリジ特集。

美学と哲学、受け継がれるサヴォアフェールとカルティエやピアジェなどとの協働、そして物語を宿す宝石万年筆──。

その根底にあるのは、石そのものへの深い愛。

「石に魅せられたのは、多彩な色や模様があり、何百年、何千年とずっと残るものだから」
オブリジさんはそう明かしてくれました。

石から着想し、メッセージや物語を込め、匠の技と独自の感性で美しく仕上げる。

そして、見る人の目に調和をもたらし、心に感情を呼び起こす。 

それが、石を誰よりも慈しむエルヴェ・オブリジさんが生み出し、残し続ける作品なのだ、と感じました。

「私が求めるのは、心を震わせる感情です。『感情』」──HERVÉ OBLIGI

【HERVÉ OBLIGI ウェブサイト・インスタグラム】
https://www.obligi.fr/
https://www.instagram.com/herve.obligi/

作品画像の著作権・掲載許可・取材協力:エルヴェ・オブリジ
Images of artwork courtesy of and © HERVÉ OBLIGI.

【エルヴェ・オブリジ特集|現地独占取材】

◆PART 1|美学・哲学編
フランス版人間国宝「メートル・ダール」宝石彫刻家のアトリエへ


◆PART 2|サヴォアフェール編
カルティエ、ピアジェなどとの協働と宝石象嵌細工


◆PART 3|宝石万年筆編
一点物とオーダーメイド高級万年筆が綴る物語 (閲覧中)